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2017-10

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移転しました

「ミシンと蝙蝠傘」はWeb MONDO CANEへ移転しました。

といっても、データも全部引っ越ししたので、そう変わらないのですが。
デザインは少しすっきりしましたよ。

ブックマークやリンク、貼り直して頂けると嬉しいです。
新タイトルはB級映画のA級、ヤコペッティ監督『世界残酷物語』より。

どうぞお手数おかけしますが、変わらずよろしくお願いします。

http://blog.livedoor.jp/mondocane/

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『枕返し』

462px-SekienMakuragaeshi.jpg
1781年

「枕返し」という妖怪をご存知でしょうか。

ある先輩と話している時「わたしは妖怪になるんなら、枕返しがいい」と言われた。
「枕返し」とは、寝ているひとの枕を動かしてイタズラする妖怪らしい。
「なんでですか」
「だって無害じゃない」
だったら「もし妖怪になったら?」とか考えなくてもいい気もするのだけど。
先輩はきっと妖怪になりたかったんだろう。
逆妖怪人間である。


この絵は鳥山石燕作だけど、地方によっては子供の姿だったりするらしいです。
子供だと、イタズラっぽさが増してかわいい。
妖怪なのに、妖怪らしい悪のパワーを持っていないのがポイントだ。
首の短いキリンがいたら絶対かわいい。
ギャップ萌えは妖怪界にもあるのです。


一説に枕を返された人間は死ぬ、という言い伝えもあるらしい。
別世界の入り口である、睡眠。
世界を天変させるという意味で、枕を返すのは恐ろしいことらしいが、どこか夢がない。

理屈としてはわかるけれど、コイツはちょっとイタズラする妖怪、くらいの方がかわいらしくて愛されると思う。
全ての妖怪が愛されるためにいるわけではないからこそ、枕返しくらいはそういうキャラでいい。

『最低で最高の本屋』


最低で最高の本屋 (集英社文庫)最低で最高の本屋 (集英社文庫)
(2009/10/20)
松浦 弥太郎

商品詳細を見る


松浦弥太郎の半生を綴った『最低で最高の本屋』。

タイトルがいい。

最低の本屋。
最高の本屋。
どんな本屋なのだろう?
思わず気にさせられてしまうフレーズだ。

バリスタの傍ら、本屋でも働くぼくは、本の重さ、向こう側にいる人の人生を考えさせられる。
ぼくが選んだ本を手に取って、人生を変えるきっかけを作るひとがいるのかもしれない。
そういえば、自分もそうだった。
大切なことの多くは、本から学んだ。

高校や、街の図書館。ヴィレッジヴァンガードに並ぶ、奇怪な世界。仙台河合塾から道を進み、角を曲がればあゆみブックスがあった。入って右には、アートのコーナー。ここにいると安心する。
さて、今日はなにを読もうか。
前から気になっていた、バタイユを買ってしまおうか。
分かったような、分からないような気で(つまり分かっていない)、エロティシズムの世界に足を踏み入れたりした。

どんな本にも著者がいて、編集者がいて、翻訳者もいたりして、一冊の本には何色もの魂が込められている。
本との出会い=ひととの出会い。
手塚治虫に直接会うことはできなくても、魂のかけらに触れることはできる。

本を売る楽しみは、そういうところにあるのだろう。
作るのはもっと楽しいかもしれない。
ブログのというコンテンツも近いものがあるわけで、ミケランジェロやピカソの作品を紹介してみて、読んでくれた誰かの人生に与えるモノがなにかあって、ほんの少しでも、そこにぼくが居られたのなら、嬉しいだろうなとちょっぴり思うのです。


『死の勝利』

Thetriumphofdeath_3051x2161.jpg
1562年 プラド美術館所蔵

死のカーニバル。
まるで狂気が主役の、乱痴気騒ぎだ。

死をテーマとしたアートはとても多い。メメントモリしかり。
アーティストは死が大好きなのか。死フェチなのかもしれない。

あるひとは「死という緊張感がなければ、人生にメリハリは有り得ない」と言う。
現代では死を感じることは極力さけられる。
そんな余裕はないというか。みんな毎日喰っていくので大変なのである。
「壮大な死」なんて考えてらんないのだ。本日のストレスで腹一杯。

本当はそうじゃない。余裕をもつためにも、死と静かに見つめあうのは大事なんじゃないだろうか?
今よりももっと死が身近だった中世においては、より濃厚な生き方を感じるため、そんな文化が必要だったのかもしれません。
ブリューゲルはまるでお祭りのように死を描いてはいるけれど、コミカルさの裏には戦争やペスト、飢饉の惨禍が深く練り込んであって、これもひとつの死との向き合い方なのでしょう。

セルフ神隠し

 「落ち着きがないね」そうひとにいわれると、そんなことない、と心の中で思う。

実際のところ、自分が思っている自分と、周りからみた自分はかなり違う。
落ち着きがないわけないじゃない、と思った2分後に左手をぶつけて血を流してしまった。
数分前の自分を諭したくなる。お前は落ち着きがないんだぞ。

「小さい頃、デパートに行くとあんたはすぐひとりでどこかに消えた」と母や祖母によく言われる。
生来の落ち着きのなさなのだろう。自分の子供がすぐどっかに消えたら、ぼくならかなりストレスだ。
セルフ神隠しである。

大きくなったいまでも、ひとりフラフラする癖は抜けないらしく、団体行動をするとまず足並みが揃わず「あいつなんなんだ、空気読もうぜ」となってしまう。
それだと社会のメンバーとしてひとから認めてもらえないので、かなり自制したり、律した行動を取るようにしているけれど、100%そうであるわけではなく、大声で叫びながら果てのないコンクリートジャングルを駆け抜けたくなったりする。みんなは、そうならないのだろうか?


『聖ルチア』

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1473年 ワシントンD.C.国立博物館所蔵

聖人たちの殉教は、ときとして奇妙な滑稽さも感じさせるのはなぜだろうか?
スケールのぶっ飛び加減というか。
どうも、凄惨さと、突拍子もない描き方とのギャップが笑いを生んでいるようだ。


3世紀の聖人、シラクサのルチアはが手に持つものはなんだろう。
枯れた葉っぱのようにもみえるけど、よく見ると眼球だとわかる。
眼草。眼球えぐりたい放題である。むしり放題だ。

ディオクレティアヌス治下のローマ帝国で、迫害を受けたキリスト教徒。
拷問の末、ついに眼をえぐりとられたことから、目の聖人とされている。
聖人は実にバリエーション豊富だ。
探せば毛髪の聖人もいるかもしれない。ぜひ拝んで恩恵をうけたい。


聖人の多くは悲惨な迫害をうけるのだけど、素直に従えばそうならなかった。少なくとも、異常な拷問はうけなかったはずだ。
目や歯、腕を捨ててでも、捨てられない信念があったのだろう。
彼女らにとって、生きるコトとはそれほど苛烈なのである。

『いにしえの英雄の墓』

Caspar_David_Friedrich_021.jpg
1812年 Hamburger Kunsthalle所蔵

死の絶対的なパワー。

時間を越え、あらゆる栄華も荒廃させる。
『いにしえの英雄の墓』に残っているのはなんだろう?
ただ静けさだけが、柔らかな花の香りのように漂う。

ドイツのロマン主義、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich1774-1840)が描く作品は、死の緊張感だけでなく、どこか安らぎも感じられる。
死は誰にも平等だ。
ただ、なにを残してもいつかは過ぎ去る。
生きるために生きるのが大事なのであって、生き延びることに時間を費やしたり、いつ得るとも知れぬ虚栄に騙されてはいけないのかもしれませんね。

旅行

ここ最近はめっきり旅をしていない。
そろそろ、とも思うのだけど、学生でもないので計画的に休みを調節しないといけない。
フラッとどこかに行くのが好きなので、どうもみっちり計画を立てるのが苦手だ。
せっかくの休みくらい、時間に縛られずにプラプラしたい。
計画性のない男である。

学生時代にパリに行った時も、取りあえず幾つかの美術館だけピックアップして、残りの行き先はその場その場で決めた。おかげでエッフェル塔の前で3時間近くブラブラしたり、なんでもない道沿いのカフェで数時間を過ごしてみたり、日本でもできるでしょう、ということを随分やった。それはそれで気持ちがいいのだけど。

急に明日の仕事が休みになったら、どこにいくだろう。
電車なら鎌倉。
それか新幹線で急に実家に帰り、誰にも気づかれずこっそり侵入する。
ずけずけと風呂の入り、腰にタオル一枚姿で現れる、東京にいるはずの息子。
幽霊でもみたような、父の表情を見てみたい。


アイスクリーム屋さん、スガキヤ

職場で「お腹すいたねー」「夕飯どうすんの?」という会話になった時、あるひとが「スガキヤのラーメンが食べたい」と言った。
「スガキヤ」と言われて、ぼくはそれが漢字なのか、カタカナなのかも分からなかった。
初めて聴いた単語だ。
別のもうひとりは、笑いながら共感している。
スガキヤとはなんなのだろう?

西日本出身のふたりの共通認識として、スガキヤというラーメン屋は、とても懐かしいようだ。
ぼくは知らない。
「味はチープなのに、なぜかまた食べたくなる」と言う。
ぼくは知らない。
スガキヤの白いスープの味どころか、看板すら見たことがない。
ぼくは完全に蚊帳の外のひとだった。

ローカルなチェーン店だったら、「南部屋敷」とか「まるまつ」くらいしか知らない。
ステーキを食べるのなら「ミルキーウェイ」。きっと、東北のひとしか分からないだろう。
ああミルキーウェイのサラダバーに行きたい。

話しが進み、聞けば聞くほど、スガキヤのイメージが定まらない。
都内には無いらしいので、食べるのならぼくはわざわざ都内から新幹線とかで西へ向かわないと行けない。
スガキヤを求めて、西進するのだ。
フロンティアスピリットの固まりである。ピルグリムファーザーズである。

「そういえば、スガキヤはアイスが美味しいですよね」
「そうだねー。アイスが一番美味しいよ」

ラーメン屋なのにアイスが美味しいとはどういうことだ。
スガキヤには「アイスクリーム・ラーメン」というメニューがあって、好きなアイスの味をセレクトできるのだろうか。
スガキヤとはなんなのだろう?


『ゴダイヴァ夫人』

Lady_Godiva_by_John_Collier.jpg
1898年頃 Herbert Art Gallery & Museum所蔵

エロスが好きで好きでたまらない。
そんなぼくの大好きな作品のひとつがこの、ジョン・メイラー・コリア OBE(John Maler Collier, OBE RP ROI,1850-1934)作『ゴダイヴァ夫人』だ。
どうだエロいだろう。


11世紀のひとゴダイヴァ夫人は、ひどい重税を課せる夫をなんども諌めた。
怒った夫は「お前が一糸まとわず馬にまたがり、街中の隅から隅まで渡ったなら言うことを聞こう」と言った。この夫はきっとアレに違いない。かなりのアレなんだろう。
ゴダイヴァ夫人が言う通り髪をほどき、裸で行進をはじめると、恩義を感じた街中の人びとは家にこもり、全ての窓を閉めたという。


そんな伝説的な人物ゴダイヴァ夫人は、チョコレートで有名な「ゴディバ Godiva」として今でも生き続けている。

無人の街の、生々しく、美しい裸体。
幼さを感じさせる肌。垂れ下がる赤毛。
ユニコーンを連想させるたくましい白馬は、女性の聖性を表しているかのよう。

聖と俗の入れ混じったこの作品の甘いエロさは、誰もが思わず見とれてしまうだろう。
エロスはひとを引きつける、人間の根本的な美しさなのかもしれません。


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プロフィール

慧

Author:慧
吉野慧

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1988年、宮城県生まれ。
コーヒーと本と妄想を売ってご飯を食べているフリーすぎるフリーター。ふざけて怒られることが多い。
メガネは身体の一部だと思っています。
お仕事が欲しいです。
「mannerism.k@gmail.com」

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